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今日久しぶりに英会話スクールに行く。
こんかいのアクティビティは歌詞の穴埋めと
その歌詞について意見を述べるって感じでした。
それに使われたのがJack Johnson のCookie Jar。

洋楽を聴くのは好きだけれど
歌詞をよくよく聴いて好きになるってよりは
曲調とか今はやってるかどうか、好きなテイストかどうかって感じで選ぶ事が多い
Jack Johnsonは嫌いじゃないって部類で、
そんなに歌詞にこだわって聴く事もなかった。
今回はこのCookie Jarを取り上げて考えさせられた。

内容は1999年にアメリカのコロンバイン高校で起こった銃乱射事件がテーマ。
先生に教えてもらったところによると。
この事件は誰のせいなのか?
この事件を実行した学生?でも彼らは「若いから」責任はないという。
じゃあその親?その親は「銃の使い方は教えてないから」責任はないといい、
親から標的にされたメディアは
「ただ自分の仕事をした。」真実を伝えただけという。
彼らを魅了した音楽や映画に関しては
誰もが好むエンターテイメントの一つであって責任はないと。

誰の責任?本人?親?アメリカ社会?メディア?
通常で考えると、高校生なんだから殺人を犯していいかは分別のわかる年齢。
私は一番の責任は彼らにあると思う。
じゃぁ彼らを食い止めるべき存在はなんだったのか。
両親であり、アメリカの社会である。
日本じゃ成人した大人が事件を起こして、両親が謝るという場面を
朝のテレビで見かける事があるが、
上の内容からだと、両親は他人事のような見方。んーっっわからん。
私は次に来る責任は親であって、その次は両親だと思う。
世の中彼らが好んだ映画や音楽は、他の人にも受け入れられているわけで
それが事件を冒すかどうかはその人が取捨選択をすればいいのよ。
誰もこの子供が責任を負わなくていいっていう理由にはならない。

平和な世の中にするって難しいね。